OOP・S 東京連絡所 シーバスレポート7   
江戸前シーバス考

今回は少々まじめな話題です。
あくまで個人的な意見を述べさせていただきますので、ご意見がある方は当HPのBBSもしくは管理人当てのメールにてお願いします。

そもそも鱸という魚の歴史はどうなんだろう?
江戸時代をモチーフにした歴史小説などの中に出てくる魚屋の多くは、この鱸、サッパ、コノシロ、穴子、キス、はぜなどの魚を売っていたのではないだろうか?この頃から「洗い」といえば鯉、鱸だ。
勝手に想像してみると、江戸時代、江戸の町には大川(隅田川)を中心に無数の水路が掘られて現在に残る地形を生んだ。今でも運河内でははぜやシーバスを楽しむ僕のような輩が後をたたないわけだから、当時はもっとポピュラーな魚だったと容易に想像できる。排水汚染の種類も現在のようにタイヤのゴム、排気ガス、化学薬品、洗剤、酸、アルカリ、重金属などといった凶悪なものはなく、う○こや、ご飯つぶといった微生物たちの栄養が少量流されていたに違いない。潮の満干で、それらが港湾部を潤し、魚は沸いたのだ。
東京湾はもともと江戸川、荒川、隅田川(隅田川は荒川の支流だ)多摩川の3(4)河川によって栄養がもたらされ、国内では類を見ない内湾形漁場(勝手に命名)だ。各地(河口周辺)には広大に積もった土砂が干潟と呼ばれる生物のオアシスを作って、数多くの動植物が繁殖している。ここで育った魚たちもしくはその場所(主に隅田川河口域)を「江戸前」という。今でも青物と呼ばれる回遊魚が巨大な群れをなして湾内(現在のTDL周辺まで)奥に入り込んでくることもある。現在の浜名湖はとてもこの東京湾に似ているといわざるを得ない。海産物の種類である。現在の江戸前とは、浜名湖のことなんじゃないかと考えさせられる。穴子やアサリは江戸前の特許みたいなものだし。

品川の海苔といえば有名だ。旧東海道の宿場としては品川から程近いが、旅人はここでおいしい海苔を巻いたおにぎりを仕入れたに違いない。今では干潟は埋め尽くされ、高度成長とともに本物の品川の海苔は姿を消した。今でも残っているドシャローは貴重な東京湾の命のゆりかごなのだ。
佃島ではご存知佃煮が発祥。浜名湖でもおいしいはぜや、セイゴの佃煮がお土産になっている。
江戸前というのは江戸の前だから・・・らしいが、こうなると僕が釣り歩いている隅田川あたりは「江戸中」ではなく運河を含めて江戸前と言ってもいいんじゃないか。

春のうららの隅田川♪と歌われた隅田川も、時の事変の犠牲には会ったらしい。
まずは関東大震災。この災害で川の向こう側の住人が火事で焼け出されて、今の両国橋あたりにどっと押し寄せて、川に埋まる人の波を踏みつけては自分も落ち、順々に重なった死体の山は川をせき止めるほどになった・・・というような惨劇が繰り広げられたらしい。戦争もしかり。軍の縫製工場を狙った攻撃に、やはり焼け出された人たちの逃げ場は隅田川。
結果は推して知るべし・・・・迫りくる炎と煙の恐怖を誰が後世に語るのか、僕でも知れたこの地方の悲しい歴史の一幕である。
両国橋といえば有名なのは年末になると放送される討ち入り劇の一団はこの橋を渡って帰っていったとか・・・・両国では繊維産業が盛ん?だが、一説によれば、ほかの産業はなぜか栄えず、商売がうまくいかないらしい。これは戦没者のたたりとか何とか。問題の吉良邸跡では吉良祭といって、茶碗などを門前で売る小さな祭りが地元の行事となっている。
いい話はあまり聞こえないけど、僕の愛するフィールドである。今では花火大会をはじめ、レガッタ、花見などが有名で、近代的な公園が川岸を包むすばらしい川である。釣りをしていると相撲取りがジョギングをしていて声をかけてきて、ちょっとした江戸風情を今も感じることが出来る。永代橋辺りではテレビドラマの撮影が盛んで、なにやらあの青く光る橋のライトアップが絵になっているらしい。

さかのぼればこの辺りの川で川遊びなど普通に出来て、美しい風景が広がっていたというから現代人の僕らにとっては驚きものということになる。
月島や、新川などは歴史的にも登場回数が多い土地で、今も残る江戸風情がたまらない。海上での船舶火災などのための消防船が係留してあるが、ちょっとポイントだ。
興味のある方は調べてみると結構面白い歴史に触れることが出来るのでお勧めだ。

そして、中略が入るが、日本は高度成長期を迎える。日本橋は護岸がされ、江戸の町にはりめぐらされた運河も減り、経済大国日本へと転身して行くのだ。
運河を航行する渡しはなくなり、代わって自動車のための道路整備が行われた。もう運河をいかなくても、必殺仕事人は現場に迎えてしまう・・・・。悪人との密会は小さな屋形船と決まっていたが、今ではでかい宴会船に姿を変えている。
それでも日本橋や、木場辺りから釣り舟は出ている。低くかかった橋の下を通るときは、キャビンがエレベーターのように下がる大掛かりなからくり船だ。

時代の波はどんどんくる。日本列島改造計画。あまりお若い方はなじみが薄い言葉かもしれないが、この政府が行った施策のすごさったらなかった。東京湾を埋めるというのだから。現在では埋めて出来た土地?の上には美しいベイエリアの風景が広がっているし、鳥浜工業団地(横浜シーサイド)なども海の上だ。16号沿いや、東海道はもともと海が近かったが、今ではその海の上にモノレールが走り、団地が連なり、遊園地が出来上がった。(TDLも海の上だ)
高度急成長・・・・・・この言葉は日本人なら誰もが知っていて、その恩恵にあずかっている。
実はこの恩恵にあずかっている・・・・がポイントなのだ。簡単に結果から要約すると日本の主要産業を支えた京浜工業地帯を擁する東京湾とそこに住む魚たちは日本の成長の犠牲になったとも言える。

約20年前、僕はこの京浜工業地帯で、ある工具メーカーの営業をして回っていた。首都高羽田線は常に霞の中に延びていく幻想の高速道路。行く先が見えないほどにスモッグが空を覆っていた。川崎病にならないやつがいることがおかしく思えた。
いまや中国にとって食われた金型産業の拠点とも言える城南、京浜エリアでは、その昔金属加工のために猛毒の薬品や、重金属などが含まれる液体を多量に使い、効率追求という目標の中でみんな必死になって働いた。もちろん薬品を使っているほうは、土壌汚染や海洋汚染などの影響など考える余地もない。経済主義とはそういうことだからだ。
代表的な海洋汚染では田子の浦の水銀汚染が有名だ。魚が奇形したりして、原因があまりにも明らかだったために事業者側が敗訴した。
東京では、あまりに多量な事業主を誰が相手取って訴訟を起こせたか・・・

金属加工において、切削や研磨の効率は切削油に金属を溶かす溶剤を混入すれば相当に向上する。
金属を溶かす溶剤・・・・聞いただけでも恐ろしくなるような話ではないか?もちろん汚染物質はこれだけではない。わかり易い所だけ抽出している。
国が認めた公害病とは、水俣病だけだったように思うが、読者は知っているか・・?間違っているかな?

円高、鉄冷え、肩たたき、ドーナツ化現象と、順にきて僕は業界を去った。
コンパクトディスクの開発を行っていた○○製作所、材料加工の段階で技術研究に余念がなかった。ハンディーカムの動力部分を開発していた品川の工場、部品の小型化と共用化にみんなで知恵比べをしていた。技術者達の目は輝いていた。みんな今は常識となった未来の装置群。開発者と共に生きた昭和の末期だった。トヨタはあの頃MR−2を発表した。僕の会社の製品と同名だった為よく覚えている。もちろん、テストカーは発表前にじっくり見た。仕事柄、産業の情報は誰よりも早かった・・・・・金属大手のN○○、資材担当者はある日突然退社した。三○造船が汚職で捕まった。僕の靴底はいつも機械油でギトギトしていた。考えてみればすごい思い出だ。僕は日本の製造業のかなりの部分を見て聞いて知ってきた。今、ご覧になっている工業製品も金型で成型されている。モールドベースと呼ばれる金型の基本部品を加工して、出来た型にレジンペレットなどのプラスティック素材を溶かし込み、注入(射出)し、型を割って出来た製品を取り出すのだ。ありとあらゆる整形品はほぼ100%この方法で作られる。今のこの便利な生活や、日本の産業の発展はこのような土俵の上で成り立っているのだ。ほかの土地、ほかの仕事の事だといって知らぬ顔はさせない。山奥で電気も使わずひっそりと生活している仙人は別として、パソコンや自動車を持っていない人のほうが少ない中で、東京の大開発の恩恵を受けていない国民などどこにもいないのだから。道を行けば自動販売機が暖かいコーヒーを入れてくれる。こんなルアーがほしい・・・金型産業は答えてくれる。100万円の自動車部品を安く作るための開発は誰がするのか・・・・

一方、僕らが毎日使うロッドはどうか・・・
素材のカーボン繊維はサランラップのようにロール状に巻かれた物を使うのが主流のようだ。芯棒になるのが、金型?とも呼べる「マンドレル」。この芯は靴の木型に似た使用方法で使われる。マンドレルの形状で、テーパーの角度は決定してしまう。つまり同じものが次も作れる。完全に機械で作る方法もあるが、設定したらそれこそ量産しないともったいないことになる。普通は半機械生産だ。町工場でこつこつやるのがいい竿の条件なのか・・・・
マンドレルは「挽き物屋さん」と呼ばれる切削工場で作られる。手仕事である。旋盤と呼ばれる切削盤で、1本のワーク(材料、この場合はSUS304など)をバイトと呼ばれる刃物で削っていく。「送り」と、「取しろ、深さ」を調整して切削。(このときの条件をチップに記憶させて同じ動きをさせる装置をNCと呼ぶ)このとき切削油という油をかけながら作業するが、おおむねただの機械油だ。濾過して再利用する。実はこの油を洗浄する液体にこそ問題があるのだ。油脂分解能が非常に高いことで有名なのは何を隠そうフロンだ。あれで洗えば一発で油が取れる。ついでトリクロ、アルコール類などという具合だが、便利なものほど害がある。
次に面祖度を仕上げる場合は研磨工程に。(ロッド研磨は非常に難しい種類の加工技術で、自動車部品のシャフトなどの研磨工場は非常に優秀な技術を持っている。だから日本車は優秀なのだ)ここでも研磨液を使うことが多い。・・・・と、まあ材料だけでも大変だ。
次に、製品化する。素材をマンドレルに巻きつけ、(アイロンなどでくっつけたり、大変)機械巻きする。芯はここまで。これで簡単なブランクスの出来上がりになってしまうが、巻物を巻いたり、細部の加工や細工は時間をかけてゆっくり行われる。当然ガイドやグリップを取り付け、表面加工(やはり、レジン系が多い)をする。
車が100万円で買える世の中、この程度のものは量産にかければ2000円以内で生産されないとトヨタも日産もない。少量生産だとしても、ユーザー価格1万円くらいが妥当だと思う。趣味のものは高い・・・・はもう古い考えではないだろうか・・?


生産技術大国・日本。
しつこいようだが日本人なら誰もがその恩恵にあずかっている。昔、魚が奇形したり、各地で公害病訴訟がくる日もくる日も騒がれて、体が曲がってしまった老人や汚染された海の映像がテレビニュースの話題になっていた。人々は忘れてしまったのだろうか・・・・

金型産業の中国流出といえば、ここ10年の中国は開発が盛んだ。働く人々の活気に満ちたエネルギーを日本にいても感じざるを得ないほどだ。やはり、空をスモッグが覆い過酷な労働環境、炭酸ガスの排出量は世界的な問題になりつつある。経済的に見込まれている中国と、追い込まれている日本とではこの論争に勝ち目なしといったところだが、京都以降、世界は後進国開発のあり方を少しは考えているのだろうか。
僕が見て聞いて知っている技術が中国に流出したときから、まるで化学反応を見ているかのように、中国製品の品質は向上した。昔はプラモデルの型も作れなかったのに。
話題が中国に行ったところで、少し中国の話題に触れてみるが、経済意が上を向いて歩き出してからというもの、そのスピードや規模には驚かざるを得ない。上海の建築ラッシュを見ても、新宿の高層ビル街などとっくに過去の遺産になってしまう勢いだ。
働き手も生き甲斐ある人生を送っている。貪欲に技術を奪い、あからさまにアピールし、得たものは離さない。金になることを優先し、生活の基盤を自然体から開発力へ移していっている。彼らには夢があるからだ。これからいくらでも豊かになれる。下を見る必要がない。やればやるだけ身になるのだ。
シーバスアングラーはいないのだろうか・・・・台湾製のロッドを持っている(TD)けど、上海製は持っていない。いつ、この世界もオール中国製になるのだろうか。中国の鱸は食えるのか・・・・・
ちなみにプラモの型は城北・城東エリアで製作、運用されることが多かった。こち亀のリョウさんがプラモ好きなのは、地域性もあると知って見ると一段と面白い。プラモの型は精巧なものが少なく、いわゆる駄型だ。部品を多く配列させるために平らにたくさんの湯道(枠の部分)を作り、部品部へ材料を流し込む。よって、部品をつなぐ部分が多くなってしまう。やすりで削らなくてはならなかったあの部分だ。おもちゃといえば上野なのだ。

さて、その現代に至るまでの東京史が魚の歴史といってしまったらあまりに短絡的ではあるが、僕がいいたいのはそういった歴史に裏打ちされた現在の江戸前シーバッシング(食いたくならない魚釣り)に対するアングラーの歩き方を考えるには、語る歴史はこれで十分だということだ。

かくして東京の魚は食えない・・・となる。
しかし実は銀座の高級寿司店で「江戸前」の魚しか使わないという店があるらしい。TVでやっていた。メニューに鱸があることを祈る。
港湾部はガス会社の臭気や走り回る船の排気ガスで半端な匂いではない。対して沖では臭いもないし、潮も多少は澄んでいる。だから沖の魚は安全で、湾奥の魚は汚いのか・・・居着きは臭くてギンピカはうまい・・・しかしギンピカの親は居着きじゃないと言い切れるか?
汚い沿岸魚は避けて、沖の回遊魚にしよう・・・・となるのだろうか。
沖のタンカーバースには海外からの贈り物がたくさんある。(大型船が航行中にバランスをとるための)バラストタンクいっぱいに詰め込んでトロピカルフィッシュやら、メコン川の水、世界各地の栄養豊富な港の水を持ってきては捨てる。その代わりに東京湾の水も持っていくのだ。水温が下がりきらない湾内では海外の貝や海藻がびっしりと繁殖している。実は冬場の鱸はこのお土産を待っていて、餌付けされている。栄養豊富な海外の港の水。貴重な資源?なのだろう・・・・
有名な水中写真家のある方が東京湾に潜って写真を公開したことがある。ヘドロの堆積したボトムには、アジやメバルなどの魚たちが泳いでいた。同氏のトロピカルな写真とは似せても似ない世界だった。しかし、確実に魚たちは生活し、元気に生きているのだ。
沿岸魚のダイオキシン濃度を調査したら大阪のガザミ、東京の太刀魚、はまちなどは上位3位を独占していたらしい。鱸はどうか。高濃度に決まっている。フィッシュイーターの定めだ。多摩川の鯉のメス化など公害問題はいろいろあるが、総括すると、東京の魚は臭いし、汚いとはっきり思う。自分たちの生活や文化がそうさせてしまったのは間違いのないことなのだ。
お台場の人口浜では(人口の浜があること自体おかしいのかもしれない)レジャー客が水着で遊ぶために、水質改善装置なるフィルターをつけて、同エリアの海水を常に濾過している。すごい装置があったものだ。宇宙船間ヤマトにでも頼んだのか・・・・

過去のJGFAの調査では東京でタギングされた魚が名古屋や東北で捕獲されたらしいし、下手をすると、浜名湖にも入り込んでいるかも知れない。反対に浜名湖や涸沼の魚は東京に来ないのか?しかしこの辺の話題は魚の東海道中何とやらで、ロマンティックな想像の域を越えたくない。

聞けば、九州のどこかの海で干潟がなくなるという。海産物の取り扱い業者の生活を取り上げた報道が多かったが、干潟は「命のゆりかご」の場合が多いから、きっと何らかの影響があるに違いない。聞けば村櫛でもゴルフ場が出来るという。除草剤がなくても管理できるほどゴルフ場は甘くないし、海藻に影響しない除草剤もありえない・・ウィードがなくなった浜名湖は、餌がなくなり、現在のようなサンクチュアリー形成はなくなる。大げさな予測は危険だけど、そうなったときは手遅れだ。
開発は生活の便利を潤し、自然を破壊する。生活がある限りこの終わらない悪魔のルーチンは続くのだ。だからこそ、本当のことを知っておく必要がある。東京の多くのアングラーが魚を大切にしている。自分たちの責任を考えてのことだ。食いたければ食えばいい。必要なだけ釣っていけばいい。もちろん僕も根本は魚を食うために釣りをしているし、東京の魚を食う友人の方が多い。川のシーバスは食わなくても、マゴチは食うし、魚屋で売ってるアジなんか、東京湾だったりする。横浜・金沢の芝漁港の漁師から譲ってもらった穴子などは最高級品だった・・・・

東京で育ち、東京に生きる。ひどいのは、釣った魚を足蹴にするやつら。今日も僕の前を歩いていたやつがタバコを道に捨てた。セイゴが橋の欄干で干物になっていたこともある・・・知りもしない生物学や、難しい生態論持ち出さなくても、気持ちの問題じゃないか・・
ビニール袋は釣りたくない。子供たちに安心して食べさせられる魚を東京に取り戻したい。釣りをしているとそんな風に思うのだ。食えない魚?正確にいえば食いたくならない魚。僕らの生活と引き換えに、水の中ではいろいろなものが失われてゆく。

どのアングラーもタックルのことや、メソッド、釣るためのセオリーに触れ、最後にフィールドを大切に・ごみを拾おう・・・・バーブレスフック・リリースに協力を!とくる。ならばランディングネットくらい使えば良いのに・・・・引っこ抜いて地面に叩きつけておいて、そっとリリース?・・・・・やっぱり気持ちの問題じゃないか。

釣りをしているということ・・・・・
・・お前、東京湾で釣りなんかやっているのか?臭くて食えない魚釣ってどうするんだよ・・・
僕は答える。「楽しむのさ。魚釣りを。」
僕らの生活の中にはその歴史、思い出がぎっしり詰まっている。その生活を作ってきた現代人だから。だから感じ、いたわり、その風景に溶け込むのだ。
今日釣れれば良いじゃないか。釣れなくて、考え込んで、理屈を知ってまた釣る。
ホームページで屁理屈をこねる前に、本当に釣りを楽しめれば良いじゃないか
今日も清澄橋で、永代橋で、お台場で、大黒ふ頭で、京浜島で
江戸の粋を感じながら、傷ついた自然をいたわりながら、近代的な夜景に溶け込みながら釣ろうじゃないか。鱸という魚を。